井の中のカナダ 

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サンフランシスコ(2) なつかしの母校への道のりはなぜかオーストラリアの香り

(↓からの続き) 

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夜遅くサンノゼ空港に降り立ち、この日はそのまま近くのホテルで就寝。

 

翌日、マーさんは、サンノゼ付近のアンティークショップめぐり、私とナッちゃんは私の思い出の地めぐりへ。

 

*よくわかんないアンティークのヤギがこの日から仲間入り

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最初の目的地は、我が母校College of San Mateo

 

サンノゼから離れ、サンマテオが近づくにつれ、見覚えのある景色が増えてくる。よく立ち寄ったスーパーマーケットや、当時すでに年季が入っていた家具屋さんなどを見つけるたびに嘆息が漏れる。

 

「ナッちゃん、私、昔のいろんな記憶が怒涛のように押し寄せてきて、頭で処理がついてかなくって、なんかもう吐きそう」と、助けを求める私。

 

 「私もー。このあたりの街路樹がオーストラリアと同じユーカリで、街並みがそっくりなの。おんなじ匂いもするし、知らない街なのに懐かしくて変な感じなのよ」と、思いにふけるナッちゃん。

 

なんでだよ。 

ここは私の思い出の地でしょうが!

 

二人とも若干無口になりながらも、車を走らせていると、とうとう母校についた。

 

やっぱり、さっぱり、様変わりしている。

 

20年もたてば、そりゃ変わるわな。

  

唯一、当時の外観を残していた図書館を背に、校舎眺めていると、

「ああ、その建物で卒業式したんだ!」

「この中廊下の先に、コンピュータ室があったんだけどなあ」

と、記憶がどんどん蘇る。

 

当時は、分厚い英語の壁に悩まされ、お金もない、授業も現地学生と混ざって超シビア、と決して楽な生活ではなかった。卒業してから何年も、「実は単位が取れてなかった」だの、「試験中に筆記用具がない」だの、夢に出てきてはうなされたものだ。

 

しかも、それまでの己の常識を覆され、とまどう事も多く、

 

コンピュータのクラスの男の先生が、長髪で、バイク乗りで、ベジタリアンで、革ジャンで教壇の上に足くんで座って授業してたり、

 

エレクトロニクスのクラスで、飛び級してきたと思われる中学生くらいの男の子と一緒になって課題したり、

 

数学のクラスで日本式のやり方で解答を書いたら、欧米式のやり方はなかったらしく、先生から『?』と答案に書かれ、それでも、「答えはあってるから」と、ちゃんと点数もらってホッとしたり。

 

この学校で、コンピュータ専攻で卒業したおかげで、帰国してもすぐ外資系で仕事につけたし、その後の人生も、今に至るまでガラリと変わったからありがたい事この上ないんだけど、当時はそんな未来を知る由もなく、本当、辛いこと8割、楽しいこと2割の生活だった。

 

試験が終わった開放感とか、休み中の貧乏旅行とかが残りの2割。

 

留学時代のことは20年たった今でも思い出満載で、いろいろ言われてるけど、留学って貴重な体験だと思う。

 

できる事なら、うちの子たちも経験して欲しいなあ。大変だけど。

 

母校を後にし、若干しみじみしながらもマーさん、メーちゃんと合流し、 ダウンタウンのブラッディマリーが有名なThieves Tavern - サンフランシスコ  へ。

 

チーズにサラミにアスパラ、オリーブ。

そしてでかいグラスに満タンのブラッディマリー。

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 もはや軽食。

 

おいしかったけど。

 

 (↓ 続く)

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